【7】人間の欲求と執着について

喜びや快楽といった感情を追い求める欲求は生物の機能としてついていて、原則的に生きてる限り消えない。

 

欲求の信号は基本的に反復である。食欲で例えると、空腹を感じて、食べて満腹になって、時間が経つとまた空腹を感じるという繰り返し。

 

繰り返しなのであれば、過剰に追い求める必要もないように思える。ただでさえ人生は短いのに、追い求め続けてると人生の大半をそこで使い尽くすことになってしまう。

 

とはいえ人間は感情が動いた時に彩りや豊かさを感じるものだし、逆に何もないと退屈でつまらない。つまり生物的な機能に振り回されるのではなくバランスをとることが大事そうだ。

 

きている間に欲求の勢いに上下はあるだろうから、時に激しく乱高下しても仕方ないけど、しばらくしたらちゃんと元の緩やかな波に戻るのが好ましい。人生全体で見ると緩やかなバイオリズムのようになっているくらいが丁度良いと思う。

 

欲求を満たした後は何をするのか。

 

自分自身が昔からずっとやりたかったことなど、心の中に残っているもことをやり始めると思う。人間は時々、他人から見ると何の意味やメリットがあるのかわからないようなことだったとしても、特定の物事に拘ることがある。ここではそれを執着と呼ぶことにする。

 

その人の中にしか存在していない唯一無二の拘りがある。

それがしたいんだと思う。

 

欲求を満たすのは程々に、その気持ちを消化することに時間を使いたい。執着と呼んでいるものも広義では何らかの欲求なのかもしれないけど分けて考えてる。ただ知りたい、ただやってみたいというだけかもしれない、どうしても死ぬ前にやりたいこと、それが執着。

 

欲求が満たされているうちに執着を消化するまで思う存分やろう。

 

やり切って執着を消化しても、生きているうちにまたきっと生じる。

 

でもそれでいい、気付けばまた進みたい方向が見えてくるだろう。