【12】人生の大半は道中

人間が人生の中で理想を思い描いた場合、往々にしてその願望は成し得ないほど大きくなる。

 

理想を描いてそこへ到達しようとしても死ぬまでの間に叶う人は少ない。大体の場合はその理想へ至ろうとする道半ばで人生が終わる。仮に達成したとしてもまた何か別のことを目指し始める。人生とは何かをしている過程であり、その殆どが道中であるとも解釈することもできる。

 

ただ、これは大小関わらず何らかの目的に対して進み続けることを前提としている。

 

では、道中において、全く進展しない状態で生きていくことになった場合は、生きることに対してどのような認識をするのだろうか。

 

自身の願望を持っていたとしても、それに対して全く進むことができない状態になったとしたら、その願望は持ち続けるのだろうか。それとも叶わない状態においてはその願望を追うことはやめるのだろうか。もし追うことをやめた場合、その後どのようなスタンスで生きるのか。

 

正解はないという前提から言うと、自分がどう生きるかということでしかない。恐らく最終的にその時の自分が納得する選択をするのだと思う。

 

そもそも人生はいつどこでどうなるかわからないし、自分一人の意思で全てが決まる世界ではない。他者との出会いや機会、社会の動きや環境の変化等、自身にコントロールすることができないあらゆる要素が関わってくる。

 

自分に決められることは自分のことだけなので、自分にできる範囲で人生を謳歌するしかない。最初からそうなのかもしれない。

 

極論、人間というのは、自我が生じた自分自身の肉体を動かすくらいのことしかできない。肉体だって自らの意思ではなく遺伝で作られてる。

 

端的に言うと、自分なりに生きるしかない。

 

この肉体に宿っている自我は一人だけで、同じ人生を体験できる自我は二人といない。いつ誰と出会いどんな体験をして何を感じるのかは、自分だけが体験できる偶然の産物だ。ならば短い人の一生の中で、自分の人生を謳歌した方がいい。

 

自らが生きたいと思ったように生きて、その中で様々な体験を楽しもう。