【14】生きる上での日常サイクル

今後生きていく上で、人として生存するために大切なことや、自分自身が人生をより良く生きるために大切にしていきたいと思うことを言語化した。

 

生きてく中で実際に行う活動は大きく分けて3種類。収入源、生活、余暇の3つだ。この3つの活動を日々反復して繰り返すことの総称を日常サイクルと呼称する。

 

 

1つ目は収入源カテゴリ。

生存のための衣食住や人生に彩りをもたらすために用いる資源を得るためにお金を稼ぐ活動を行う。ここで重要なのは十分にお金を稼いだ上で時間と体力を余らせること。また資金を継続的に得るためには活動を充実させることが重要であり、そのためには活動の中で自分の力を発揮して仲間と力を合わせること。

 

 

2つ目は生活カテゴリ。

生きることや健康を維持するための睡眠、食事、運動などの活動を行うことを指す。睡眠と食事と運動で心身健康の土台を作る。他に日記、散歩、瞑想などで精神を整え、自身が歩みたい方向性を自分自身で定めたり、エネルギーを養う。

 

 

3つ目は余暇カテゴリ。

生きている中で彩りや豊かさを感じるための趣味やライフワークなどの活動を指す。自身が進みたいと思った道を進み、やりたいことをやっていく。様々な活動を行い精神を充実させていく。興味あることを行うことで新しく経験を得て他社と関わり社会性を持ち、己を磨く。

 

【13】もがき苦しみながらも生きるのかもしれない

せめてこれだけはと望んだものすら実現できないとなった場合どうするか。

 

世界に人間が沢山いて、その中には理不尽な目に遭っている人が多い。それと比較すると少なくとも現代の先進国の人間は相当に恵まれている部類に入る。

 

恵まれていると思われる国でも、仕事に疲弊してお金もさほど稼げず、時間も体力も余らず、年老いるまであくせく働く人は未だに数多くいる。

 

一見、社会の機能が相当発展しているように見える今この現代においても、大体の人間は常に何かに苦しみながら生きているのが実情だ。

 

事実として現代社会はそんなものなのかもしれない。働いている間は大変な苦労をして悩みを抱えたまま生きることにもなる。理不尽な目にも遭うだろう。

 

運良く仮に何か一つ悩みが解決したとしても、もう一つの解決されていない悩みを見つけて解決することに奔走するだろう。例えば仕事内容に充実しているが収入が低い場合、収入が上がっても仕事内容に不満が出るかもしれない。仮に仕事内容が充実して収入も上がったら、今度は自由時間がなくなるかもしれない。

 

何かを得れば何かを失うことも、よくあることだ。

 

仮に大半の問題が解決しても、元々の問題を解決したことは忘れ去り、そこからまたさらに別の問題を見つけて奔走したり苦悩しつつ生きることになるだろう。もちろん問題が無くなることはなくても、悩みが少ないことに越したことはない。

 

そんな風に、人間は今目の前にある不安や不満に対して何とかならないか考え始める。何とかならないことを何とかしようと、もがきながら、目の前の悩みに対して苦しみ続けて生きていくことになる。

 

人生はそんなものなのかもしれない。

【12】人生の大半は道中

人間が人生の中で理想を思い描いた場合、往々にしてその願望は成し得ないほど大きくなる。

 

理想を描いてそこへ到達しようとしても死ぬまでの間に叶う人は少ない。大体の場合はその理想へ至ろうとする道半ばで人生が終わる。仮に達成したとしてもまた何か別のことを目指し始める。人生とは何かをしている過程であり、その殆どが道中であるとも解釈することもできる。

 

ただ、これは大小関わらず何らかの目的に対して進み続けることを前提としている。

 

では、道中において、全く進展しない状態で生きていくことになった場合は、生きることに対してどのような認識をするのだろうか。

 

自身の願望を持っていたとしても、それに対して全く進むことができない状態になったとしたら、その願望は持ち続けるのだろうか。それとも叶わない状態においてはその願望を追うことはやめるのだろうか。もし追うことをやめた場合、その後どのようなスタンスで生きるのか。

 

正解はないという前提から言うと、自分がどう生きるかということでしかない。恐らく最終的にその時の自分が納得する選択をするのだと思う。

 

そもそも人生はいつどこでどうなるかわからないし、自分一人の意思で全てが決まる世界ではない。他者との出会いや機会、社会の動きや環境の変化等、自身にコントロールすることができないあらゆる要素が関わってくる。

 

自分に決められることは自分のことだけなので、自分にできる範囲で人生を謳歌するしかない。最初からそうなのかもしれない。

 

極論、人間というのは、自我が生じた自分自身の肉体を動かすくらいのことしかできない。肉体だって自らの意思ではなく遺伝で作られてる。

 

端的に言うと、自分なりに生きるしかない。

 

この肉体に宿っている自我は一人だけで、同じ人生を体験できる自我は二人といない。いつ誰と出会いどんな体験をして何を感じるのかは、自分だけが体験できる偶然の産物だ。ならば短い人の一生の中で、自分の人生を謳歌した方がいい。

 

自らが生きたいと思ったように生きて、その中で様々な体験を楽しもう。

【11】少しずつ進んでいけるようにする

人間が思い描いた理想の状態が、次の一歩ですぐ叶うということはない。最初から願いが叶うことはないので必然的に少しずつ進めていくことになる。

 

人間は往々にして高すぎる理想を掲げては、思うように叶わないことにもどかしさを感じる。全く進んでいない状況では、活動し続ける意味を感じなくなり足が止まることがよくある。

 

そうならないようにするには小さいことから1つずつやっていくことが大切だと思う。着実な1歩を踏めば、少しずつ進んでいると感じやすいからだ。だからこそ目的に至るまでの工程を分割して行って、一番近いところにある次の段階を目指すようにしていくことが大事だ。その上でその小さなことをコツコツ続けていく。

 

次に、どんなルートを辿ることになったとしても着実に進んでいけるために、日常の中に発展性を持つことが大事だ。

 

最初にこうやって進もうと思っていても実際に動き始めるとどんなことが起きるかはわからない。最初に想定していた道を外れることもあるだろうし、途中から遠回りをすることもあるだろう。だから、どんな道筋を辿ることことになろうとも着実に進めるようにすることが重要だ。

 

着実に一歩進める状況を作ることが大切、明確な発展性が持てなければ、それを作り出す必要がある。

 

自分が進みたい道に向かって着実に一歩進むためには、日々の余暇活動の中で活動をしないといけない。そしてその余暇活動を行うためには時間や体力や資金が必要になる。

 

つまり生活を送った上で体力と時間と資金などの余力を持たせる必要がある。仕事で消耗した体力を回復させるために余力を使い果たしてしまい、何もできずに時間が経過するだけになってしまう。

 

そのため日常生活を送った上で余力を確保できるようにすること。そしてその余力を自分自身が行いたいことや進みたい方向へ進むために使うこと。

【10】生きていく上で何を目指していくか

今後生きていくにあたってどういう状態を目指していくか。まず心身が健康な日常を送れていること。次にやりたいと思ったことをやれる状態になることだ。

 

心身の健康を整えるにはまず肉体から整える必要がある。栄養のある食事を適度に行う、良質な睡眠を十分にとる、定期的に軽い運動を行う。肉体が整うことで精神が健康になるための土台が出来上がると思う。

 

次に精神を充実させるためには、頭の中をリフレッシュさせるといいと思う。日記を書いたり人に話を聞いてもらったりして、言葉を吐き出してモヤモヤしていた気持ちを外に出す。その上で何も考えずに散歩をするのも良い、歩いている間に勝手に頭が整理されていく。

 

そして心がスッキリしたら、その時自分がやろうと思ったことをやっていけばそれでいい。

 

ひとまず仕事や収入、余暇時間や活動体力、趣味や人間関係などを端折って言うと、まずはこういう状態を目指していく。生きていく上で特別大きな夢や目標はない。そういうのは湧いてきたら自然に目指し始める。

【9】一人の発想は狭いし思い込みがある

一人の狭い頭の中で考えたことには、往々にして思い込みがある。

 

今まで色々なことをやったり考えたりしてきた上で、自分なりに様々なことを言葉にしてまとめてきた。以前に比べて知ってることも増えたし生きていく上で大切なことはわかってきたと思っている。

 

しかし同時にそれを過信してはいけないとも思っている。前提として今持ってる結論が完璧なわけではないということを忘れてはならない。

 

あくまで今の自分が一人で考えたことだからら、人間一人が考えれる発想の範囲内でしかない。その発想はきっと狭くて思い込みがあったり、そもそも間違った前提認識をしていても気付いていないだけのことはあるだろうと思う。

 

既存の発想を抜け出して新しい視点や着想を得るには他者と関わり会話するのがいいと思う。他者との交流を通じて自分とは違った視点からの意見を受けたり、考え方や捉え方と接する。そういう新しい刺激に遭遇して新しい発想になっていくんだと思う。

 

ある程度自分の考えを持った上でそれを過信せず、他者と接して、時に柔軟に修正していきたい。

 

他者と接する機会を作るために、生活の余力を人との出会い使えるようにできると良いかも知れない。

【8】人間の快の感情と充実感について

人間の快の感情や充実感について考える。

 

人は生きてると喜びを得ることがある。それは時々人生に彩りを添えてくれるとても素晴らしいもで、無いと味気ないと思う。

 

ただ人は慣れる機能があるので、激しい喜びを感じると次回はより強い感情を得ようとしてしまうことがある。満足するための水準が高くなるとその感情を得るために多くの時間や資源が必要になり、獲得コストが高くなってしまう。

 

また、人間は生きていると充実感を求めたりする。どういう時に充実感を感じるかというと、変動があった瞬間だと思う。

 

例えば極限まで空腹になっている状態で食事すると美味しく感じてその時は満足する。これは元々空腹だったのが満たされるという変化があるから満足感を感じているのだと思う。

 

そしてその時の満足感などの感情は一時的なもので長くは続かない。また不足して満たした時に感じるように出来ている。

 

程々の感情を適度なコストで得るぐらいが丁度いいかもしれない。